死が怖いと思うときにすべきこと
あなたはふと自分が死ぬ日のことを考えて、「死ぬのは怖いな」と思ったことはありますか?
法事に行ったりすると、考えるきっかけになったりもしますね
私たちは皆いつか死にますので、これは誰にとっても避けることのできない問題です。
若いときにはあまり気にならないかもしれませんが、年を取ってくるとやはり家族や友人・知人が亡くなるという経験が増えていきますので、自分のことも考えざるを得ないという状況になっていきます。
あるいは、健康面などに不安のある方であれば年齢に関わらず、「自分は死んでしまうのでは」という思いに直面されていることもあるかもしれません。
この記事では、「死ぬのが怖い」と思った場合に、どう考えて、どうすればいいのか?ということをお伝えしていきます。
「死ぬのが怖い」と思ったときは以下の3ステップを試してみてください。
- 死が怖いと思う理由を考えてみる
- その理由を手放すにはどうしたらよいかを考える
- 今日から行動に移す
実は自分の死について考えるというのは、決してネガティブなことではないんです。
むしろ、「よく生きる」ことのきっかけになるんですよ。
良い機会なので、ここでぜひ一緒に考えてみましょう。
もくじ
死が怖いと思うときにすべきこと
「死ぬのが怖い」と思うときにどうすればよいのか、これには3つのステップがあります。
① 死が怖いと思う理由を考えてみる
まず1つ目のステップは、「なぜ死ぬのが怖いと思うのか?」を考えてみましょう。
死ぬというのは自分がこの世から消えることを意味しますが、なぜ、あなたは死ぬのが怖いのでしょうか?
これはもちろん人それぞれだと思います。
私だったら、大事な人たちと会えなくなるのが怖いですね
いろいろと死ぬのが怖い理由が出てくると思います。
実は、そのほとんどがこの世、この人生に対する未練や執着になるのではないかと思います。
② その理由を手放すにはどうしたらよいかを考える
2つ目のステップは、その「人生に対する未練や執着を、どうしたら手放せるのか?」ということを考えてみます。
例えば、「家族など大事な人たちに会えなくなるからイヤだ」というのが理由だとしたら、それを手放すにはどうしたらいいのでしょうか?
- その相手とコミュニケーションをもっととる
- 相手を大事にする
- もっと家族との時間を増やして、お互いにたくさんの思い出を作る
- 「ありがとう」など、相手の笑顔を引き出すポジティブな言動を心がける
などが解決策になってきます。
つまり、このステップ2は、死から逆算するんですね。
もし自分が死ぬとしたら、何を後悔しそうなのか?
「こうしておけば後悔しなくて済むだろう(後悔するかもしれないけれど、少しはマシだ)」と思うことを、考えてみましょう。
③ 今日から実行に移す
3つ目のステップは、その「しなければ後悔しそうなこと」「これをしておけば後悔しなくて済むだろうと思うこと」を実行に移します。
身体が元気なうちにやっておくわけです。
できれば今日から着手したほうがいいです。
明日も生きているとは限りませんし、また相手がいる場合は、相手が明日も生きているとは限りません。
家族が大事だという人は、遠く離れた親や祖父母に会う頻度を増やしたり、ビデオ通話できるような環境を整えてあげたりしてもいいですよね
まとめますと、まずなぜ死を怖いと思うのかを考えてみる。
大抵はその怖いことは、死ぬときの後悔なので、「だったら生きているうちに、それをしよう!」ということなんです。
よく言われる「悔いのない人生を送ろう」というのは平凡な言い方ではありますが、意外と本質をついていると思います。
この「悔い」というのがまさに、この世に対する未練・執着のことですから。
余命宣告された人たちが後悔すること
「まあでも、自分は元気だし、とうぶん死なないだろう。忙しいし、そんなこと後回しでいいや」と思う人もいると思います。
ここで1冊の本をご紹介します。
日本では2012年に出版された本なんですが、著者はオーストラリアで長年、終末期の患者のヘルパーをしていた人です。
彼女は、お世話をしてきた人たちが口々に語る人生の後悔を自分のブログに綴って、当時それが話題になったそうです。
この本によれば、もうすぐ死を迎えることが分かっている人たちが口にする後悔とは、次の5つのことだそうです。
- 自分に正直な人生を生きればよかった
- 働きすぎなければよかった
- 思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
- 友人と連絡を取り続ければよかった
- 幸せをあきらめなければよかった
自分に正直な人生を生きればよかった
「自分に正直な人生を生きない」というのは、例えば誰かや周囲の期待に応えるために、自分を殺して生きていくことなどがあります。
自分軸ではなく他人軸で生きるような感じですね。
本当はこうしたかったのに、親が、世間がこうだからそれに従った…でも死ぬときにはそれが一番の後悔になるかもしれないわけです。
働きすぎなければよかった
プライベートとのバランス、特に大事な人との時間をないがしろにするなということです。
気づいたときにはその大事な人はもういないかもしれないし、自分のほうがいなくなるかもしれないからですね。
思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
やはり大事な人に対し素直になって、自分の本当の想いを伝えるということです。
例えば、絶縁状態になっている家族や、罪悪感を抱えたままになっている相手、そういう人に愛や謝罪を伝えることで、人は本当の意味で開放されるのかもしれません。
友人と連絡を取り続ければよかった
友だちというのは家族とはまた違った良さがありますよね。
家族には妻と父親とか役割がありますが、友人関係には役割がないので、ひとりの人間として互いに付き合えます。
つまり、自分の時間を大切にすることにつながるんですね。
友人がいないと、自分の時間がぜんぶ孤独なものになります。
幸せをあきらめなければよかった
これは、自分で幸せになろうとしないということです。
例えば、何か目標があったとして、ストイックな人は、「それを成し遂げるまでは自分は幸せになってはいけない」などと考えることもあると思います。
それはつまり、「今の自分には幸せになる資格はない」と思ってしまっているということなんです。
目標達成に向かう途中でも幸せを味わえる瞬間はたくさんあるのに、それを自分に許可していません。
あるいは悲観的な人なら、「どうせ自分なんて幸せになれない」と思っていることもあるかもしれません。
自分であきらめたら終わりだよ…
以上のように、死が迫っているときに、人はそのようなことを後悔するということです。
では、こんな他人の後悔を知って何のメリットがあるのでしょうか?
それは、まだ自分の死期がわからない状態でこれらを知ることより、今日からそのような後悔をなるべくせずにすむように生きていくという選択をすることができるんですね。
私たちは余命宣告されてなくてもいつ死ぬかはわかりませんので、このなるべく後悔せずにすむような生き方に着手するのは、早ければ早いほどよいのではないかと思います。
人生の大きな決断を迷うときは
人生では大きな決断を迫られるときがあります。
身近なものでは、「今の会社を辞めて転職しようか?」とか「起業しようか?」などがあると思います。
他にも、結婚するかしないか、海外へ行くか行かないか、などその選択次第で人生が大きく変わりそうなものがありますね。
その際、まずは現実的にメリット・デメリットなどを検討すべきです。
でも、その次に、この「死ぬときに後悔しないか」という視点でもぜひ考えてみてください。
自分が死ぬ日という最終ゴールから、自分の人生を振り返って、今の状況を俯瞰するわけです。
「死を想え」
西洋美術がお好きな方は、メメント・モリ(memento mori)という言葉をご存知だと思います。
日本語では、「死を想え」というものです。
西洋の静物画の片隅になぜかどくろが置いてあったりしますが、あれは死を意味しています。
メメント・モリの解釈は歴史的にはいろいろ変わってきたようですが、現代の私達にとっては、まさに「悔いのない人生を生きよ」という解釈が一番しっくりくると思います。
いずれ必ず来る自分の死を想うことで、人生の初心に返るようなものでしょうか。
「どうせいつか死ぬとしたら、そもそも私は、どんな人生を送りたいんだろう?」みたいなことです。
それでなくても、私たちは日々の忙しさにかまけて、流されやすい方向に流されてしまいがちです。
そして、いざ死ぬときになって、「ああ、やりたいことが何もできてなかった…」みたいになってしまいます。
それを防ぐために、たまにそういうことを考えるのは非常に有益ではないかと思います。
つまり、「死を想うことで、より良く生きる」ということなんです。
だからこそ、自分の死について考えることはネガティブなことではないのです。
むしろ自分の人生にとって何が大事なのかがはっきりするのではないかと思います
死ぬときに後悔しない、つまり充実した死を迎えるためには、充実した人生を送ろうと努力すればよいということになりますね。
悔いのない人生を生きよう!